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みかわ ただのりの日記

使用上の注意を正しく守って、個人の感想であり、まあ落ち着こう。 http://xap.hatenablog.com/entry/2015/11/01/211243

鋳鉄とクレーンと放射能の時代

【初出:slashdot.jp 2015/12/14〜2015/12/19

鋳鉄とクレーンと放射能の時代(1) | xapの日記 | スラド

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鋳鉄とクレーンと放射能の時代(6) | xapの日記 | スラド

初に入った会社の事でも書こうかと思った。

今でこそ、「こんぴゅーた」相手のお仕事をしてるわけだが、俺が一番最初に入社した会社は、コテコテな鉄鋼業だった。
鉄と油と放射能と天井式クレーンが行き来する工場内で、粉塵と油と電気を相手に働いていた記憶がある。

これで、俺が「機械科卒」とかだったら別に良いんだけど(いや良くないか?)、在籍した科はれっきとした(?)「情報技術科」だから不思議だ。

この鉄の会社から学校に来ていた就職案内には「コンピュータ関連の仕事」となっていたハズである。

当事、さっさと就職して自分の金で心置きなく遊びたかった事と、せっかく遊ぶなら都会がいいズラという野心をメラメラ燃やしていた、純朴な俺(進学するほどの脳 みそが無かったのは秘密)は、会社から徒歩5分に寮を完備し、コンピュータ関連の仕事ができ、更には入社後半年間は充実設備での社員教育があるという、この神奈川の会社に一も二もなく就職を希望した。

内定が出たときは、「これでオラもシティボーイだべ!」と小踊りしたものだ。

 

入社前日、真っ赤なほっぺをピカピカさせながら上京。
会社の寮に案内されるも、2人で1部屋である事を知らされる。まあ、当事は良くある事だったので、あまり気にしない。

同期の方々が金髪だったり、リーゼントだったり、眼つきがやたら悪かったりしたけど、高校も似たようなもんだったので、これも気にしない事にする。

寮が会社から徒歩5分とあったが、敷地面積がアホみたいに広いので、実は「寮から会社敷地内まで徒歩5分」で、半年間通うことになる研修所までは、そこから更に社内バスで20分程かかる事も少し痛かったが我慢して気にしない事にした。

 

そして、肝心の社員研修。どんなハイテクなコンピューター技術を叩き込まれるのかとワクテカで挑んのだわけだが、いきなり朝一番から、敷地内にあるグラウンドを何周か走らせられる事に。

「なるほど!社会人は体力も必要だからネ!」とポジティブシンキングを必死に保ち気にしない事にする。

それが終わり、やっと教育開始。

さあこいや!とばかりに気合をいれるも、待っていたのは中学生並みの英語や数学、それと一般常識。そんな事を1日やった後、更にダメ押しの筋トレを行い研修終了。
頭の中が「?」で埋め尽くされつつ、初日が終わった。

 

寮に戻り、研修のスケジュールを確認すると1ヶ月後くらいから「コンピュータ」の研修が始まるようだ。
「なるほど!それまでは社会人としての基礎を養うんだネ!」と、少し納得するが、スケジュールの中に妙なモノを発見する。

「富士山登山」

 

***

問題の「富士山登山」は、数週間後に実施された。
午後9時くらいから、5合目にて簡易酸素ボンベと雨合羽を渡され、日の出までに頂上に到着しようというものだった。

「まるで、特一級の罰ゲームじゃないか!」と思った事を今でも記憶している。

 

結局、数人の脱落者が出たものの、殆ど全員登頂し雲海に上る朝日を拝む事はできたが、酸欠と疲労と空腹であまり感動した覚えはない。
覚えているのは、袋インスタントラーメンのようなラーメン(具無し)が700円した事と、「俺は何故こんな事してるんだろう」という疑問を日本一高い所で考えていた事だけだ。

 

それからは、またいつものようにマラソン、研修、筋トレの日々が続いた。
研修はどんどん実践的になり、中ハンマーの振り方や、クレーン操縦、玉掛け(クレーンに吊るすモノがブレたり落ちたりしないようにロープを掛けたり、材料の重心や重さを見極める為の技能)等の技能を覚えこまされた。
(従って俺は、何故かクレーン操縦と玉掛けの技能免許を持っていたりするが、現業界の履歴書には間違っても書かない事にしている)

 

肝心のコンピュータの研修は「2進数、16進数とは何ぞや」とか「コンピュータの仕組み(入力、記憶、演算、制御、出力とかいうアレ)」とかをサラっと流して終了してしまった。
「終わりかよっ!」とツッコミを入れたくなったが、この頃には、なんかもうどーでも良くなってきていた。
テキトーに給料貰って、同期の仲間でワイワイ騒げりゃそれでいいじゃん、若者だもの、みたいな感じになっていたと思う。

結局、半年間の研修期間を終え、正式に工場内の部署に配属される事となった。

 

俺が配属されたのは、皆が「島流し」と呼ぶ人工島の最果てにある部署だった。

 

***

配属先である人工島の最果て部署は、社内バスで40分くらいの場所だった。

(まあ、でも今考えれば通勤1時間以内なんだから、全然良いじゃん?)

所内でも特厚の鉄板を扱うその部署は、溶鉄を固めたばかりの真っ赤な鉄の塊(スラブと言ってた)が上下左右に行き交うファンタジックなところで、厚くて熱く て暑くてとても人様が近づたもんじゃないスラブの厚さを測るために、他部署とは桁違いな線量の放射線を使ったり(その為、作業時には「被爆検査プレート」 を胸につけ毎月被爆量が異常値でないかをチェックしてた)、埋立地のため地盤沈下が激しく、突然口をあける陥没穴に度々ハマったりと、とてもエキセントリック な体験のできるところだった。

 

その頃、上京して必要となるような家電や家具は、ある程度買い終え、配属による昇給や残業手当等もあって、少しだけ経済的な余裕が出てきた。
そうすると、それまで押さえつけていたゲーム欲やPC(パソコン)欲がむくむくと湧いてくる。

ゲーム機なんかは、まあ普通に買えるのだが、当事のPCは現在のように10万~20万なんかでは到底買えない代物で、(確か俺が就職した年の数年前に発売されたX68kなんかは50万くらいしてたかと)中古でも軽く20~30万はしたと思う。

まあ、どう逆立ちしても買える値段では無いのだが、俺が欲しかったのはそういった、本格PCではなく中学生の時から欲しかったMSX(当時、とても安価だがそれなりに普及してた基礎的なパソコン)だった。

 

当事、MSXの最新機種だった「FS-A1ST」が、たしか定価で8万くらい。

2~3ヶ月金貯めて買おうと思っていたところ、神奈川出身の同期の家に遊びに行った際、その近所にある中古ショップに2万程で売られているのを発見。

店のオヤジに数日後の給料日まで取っておいてくれと拝み倒し、遂に念願のMSXを手 に入れた。

さあ、これからMSX三昧だ!と意気込む俺に新たな魔の手が、襲いかかる。

 

相部屋の男、川崎くん(仮称)である。

川崎くんは丁度その頃から街でナンパした女性と付き合いはじめ、頭も体もおサルさんになっていた。
女性を連れ込んできては(もちろん寮への連れ込みはご法度ですが)、ナニかをしようとする為、俺は毎晩のように部屋を追い出されていた。
ひどいときは休日に朝起きると、既に部屋の中でナニかが開戦している時もあり、ベッドから出られない事もしばしばあった。
(ちなみにベッドは、1畳半程のスペースがカーテンで囲われた感じになっており事実上、その中がパーソナルスペースとなる

+--------+  こんな感じ。)
|  ♂♀  |
+--+  +--+
|  |  |俺|
|  |  |  |←ベッド
+--+扉+--+

温厚で有名な俺でも、これは余りにもご立腹なので文句を言ったら、今度は俺が居ない間に連れ込み、部屋に内側から鍵をかける始末。
これじゃMSXができないじゃないか!(怒るとこが違う?)と怒髪天になった俺は、寮長に部屋替を申請。
丁度、同期の新山くん(仮称)の部屋が空いてるとの事で、新山くんと相部屋になる事となった。
早速、新山くんの部屋に山形銘菓「のし梅」を持って挨拶しに行く。

「のし梅」を受け取りつつ新山くんは一言。

「ありがとう。コレは受け取っておくけど、僕は君が部屋に来る事、認めてないからね」(原文まま)

 

 

(゚Д゚)ハァ?

***

 

何をいいだすんだろうね、このヒトは……と内心思いながらも、新山くんには「もう決まった事だし、文句があるなら寮長に言ってよ」とだけ伝え、引越しの準備を始めた。

 

その後、新山くんとは一度も言葉を交わす事は無かったが、別段仲良くする必要もないし、今までの自分の部屋に自由に出入りできないような不便さに比べれば、全然気にはならない、というか思う存分MSXに費やせるので、とても嬉しかった。

だが、そんな風にMSXでCGを書いたり、ゲームをしたり、プログラムを書いたりしていると、もう諦めたつもりでいたコンピュータの仕事がしたいという思いが再燃してきた。
転職したいと考えるようになったのは、その頃からだったと思う。

 

だがしかし、田舎から上京した俺にとって、この会社は住処である寮との繋がりでもある。
辞めてしまったら勿論、寮から出なければいけない。
寮を出て、アパートなんかを借りようとしたら、敷金や礼金、引越し費用などでとんでもない金がかかる。

月給十数万の安月給の身で、それは自殺行為だ。

 

それに、仕事はキツイが職場の人達は、皆良い人ばかりだった。
中には反りの会わない人も居るが、概ね良好な人間関係といえただろう。
親切に仕事を教えてくれた人達に対する恩義もある。
とても、辞めるだなんて言えなかった。

そんな鬱々とした気持ちを抱えていた頃、同じ高校の友人である駒田(仮称)から電話がかかってきた。
駒田は、田舎のソフト会社に就職したのだが、3ヶ月程本社研修の為、東京に住むとの事だった。
この時期に、会社以外に話せる人間が居るというのは本当に救われた。
(余談だが、あれから二十数年経つ今でも、駒田は東京に住んでいる。当初3ヶ月という予定だったが、そのまま本社勤務になったと本人は言っているが、俺は奴が未だに研修期間を終えていないのではないかと考えている。この万年丁稚野郎め!)

俺はよく、駒田のアパートに押しかけては会社や同期、コンピュータ関係の仕事がしたい等の愚痴を吐きまくっていた。
今考えれば、非常に迷惑極まりない奴だと思う。

 

駒田は「うんうん」やら「そりゃひでぇな」やら「いや、コンピュータ関係もキツイよ」やらの相槌を適当に打ちつつ俺の話を聞いていたのだが、住む場所や仕事の先輩方に迷惑がかかるから転職できない旨の話を聞くと、こんな事を聞いてきた。

「あのさ、お前、ホントに転職する気あんの?」
当たり前だ!と言い返す俺に駒田は
「じゃあさ、実際どんな仕事したいのよ? コンピュータ関係つってもさ、いろいろあるべ」と。

俺は、返答に詰まった。
そういえば、出来ない出来ないと嘆きつつも、具体的な事は何一つ考えていなかった。
結局はそう言って現状から逃げていただけなのかもしれない。
が、その辺は若者特有の威勢と反射だけで「ちゃんと考えてるよ!ほら、ゲームとかアミューズメント関係が良いなとか思ってんだ」等と言い返す。
すると駒田は「だったら、転職しちまえよ」等とヌカす。
少しむかついた俺は、それができねぇから困ってんだろが!的な事を言ったと思う。

 

そこで駒田の反撃

「寮のある会社を探しゃあ良いだろが!それによ、先輩に迷惑がかかるとか言ってたら、いつまでも転職なんかできるわきゃねーだろ」

 

効いた。

***

駒田の反撃にやられるのも癪だが、まあ、ごもっともな意見だ。
何故かは判らないが、駒田に言われるまで「他にも寮のある会社がある」という現実に全く気付いていなかった。
特に転職活動するわけでもなく、ただぼんやりと今の仕事は違うなーと考えているだけだったので、当然かもしれんが。

 

とにかく、その一件依頼「転職」というものが急に現実味を帯びだした。

一方、仕事の方も配属されてから3ヶ月が経ち、簡単なものではあったが工場でのメンテナンス担当箇所や他の役割等も与えられ、徐々に職場での俺の居場所のようなものが確立していった。
そういった事は、認めて貰えているようで、とても嬉しい反面、もし、辞めたいと思っている事が知れたら……と思うと、やはり気持ちが沈んだ。
そんな思いもあってか、なんとなく職場の人と話をするのを避け、人が事務所に集まる昼時なんかは、そそくさと飯を食っては一人で湾に出かけクラゲを突っつく日々が続いた。

 

そんな状態を見てか、ある日、職場で比較的仲の良かった廣井(仮称)先輩が飲みにでも行こうぜと声をかけてきた。
居酒屋で暫く仕事の話等をした後、俺は思い切って転職を考えている事を話した。

 

元々、コンピュータとかが好きで、高校もそういう学科に入った事。
仕事でCGを描いたり、プログラミングしたりしてみたいと考えている事。
でも今の職場も良い人ばかりだし、仕事も少しづつ覚えてこれているので、なかなか辞める踏ん切りがつかない事。

 

話し終えると、廣井先輩は「お前の作ったCGとか、プログラム見してみろよ」と言って来た。
かなり恥ずかしかったが、ここで引くわけにも行かない(何が?)ので廣井先輩を寮の自屋まで案内し、MSXで描いたCGや、今まで作ったゲームなんかを見せた。

 

「これ、お前1人で作ったの?」とか「これどうやって描くの?」とか「音楽とか鳴ったら本物のゲームみたいだな」(SEは付いていたが、BGMの無いシュー ティングゲームだった///)とか言いつつ一通り眺めた先輩は「俺、こういうコンピュータとかの事詳しくないんだけどさ」と前置きして、
「持ってってみたら、ゲームの会社とかに。もし駄目でも、この会社で仕事してんだから食えなくなることは無いよね。後の事は転職できそうになったら考えれば良いじゃん」

至極もっともである。(つうか、普通は皆そうする。)

 

なんとなく踏ん切りがついた俺は、早速、転職情報誌を買い込み、何件かの会社を選んだ。
高校を卒業して、あと数ヶ月で1年が経とうとしていた俺は、この段階で急にプログラミングで売り込む自信が無くなり、グラフィッカーを募集している会社を選んでいた。
(今考えたら、顔から火が出て0.2秒で炭化しそうなくらい恥ずかしい。タイムマシンがあったら、そんな絵を人様に見せるのは辞めろと撲殺しに行きたい)

 

が、結局は寮が無かったり初心者は採っていなかったりで、実際に面接しましょうとなったのは1社だけだった。

杉並にある、その会社はパチンコやパチスロ、ゲーセンのメダルゲームコーナーにあるような筐体モノのメダルゲームや麻雀やポーカー等のビデオゲーム、更にはラスベガスで稼動するような本格的なスロットマシーンなんかを企画・製造しているところだった。

 

面接当日、慣れないスーツを着込み、ガチガチに緊張しながら、到着。

そこには、地上4F地下1Fの自社ビルが、ずぅーーんと立ち、駐車場には見た事も無い外車や黒塗りベンツが鎮座していた。

 

頭の中を「ヤ」のつく職業の名前がよぎるが、思考回路をブった切り、受付に向かう。
「き、今日、こ、こ、こちらで面接の約束をさせていただきました、みかわと申しますが・・・・」
面白いくらい噛み噛みで受け付けのお姉さんに告げると、早速3Fの打ち合わせルームに案内された。

暫し待った後、「やあ、お待たせ」とやたらに低い声で現れたのは、口髭を生やし、サングラスをかけた40歳後半の男性だった。
丁度、THE ALFEEの髭グラサンの人が、更に眼光が鋭くなったような感じか?

とにかく、その人を見た瞬間、さっき遮断したハズの思考回路が急遽復活。

頭の中が「ヤ」の文字とエマージェンシーコールで埋め尽くされる。

 

嫌な汗が出てきた。

 

***

面接が始まった。


強面の面接担当者は、伊村(仮称)さんという人で、どうやら開発部の部長さんらしかった。

伊村さんは、顔に似合わず(失礼)気さくな人で、終始和やかに面接は進んでいった。


グラフィッカーを志望していた為、面接時持参となっていた俺の絵を見た後、高校の学科でどんな事を学んだか聞かれ、FortranCOBOLアセンブラ等を学んだが1年近くやってないので自信が無い旨伝えた。

 

伊村さんは「うーん……」と暫く、履歴書と絵を交互に見ていたが、何かを決めたように顔を上げ、こう聞いてきた。


「君、プログラムやんない、プログラム。言語はゼッパチ(Z80)アセンブラなんだけど、多分すぐ慣れると思うよ。絵の部屋(グラフィック部の事)行ってもいんだけどさ、プログラム組めるんなら開発の方が良いって。絵しかやんないのは勿体無いって。絶対!」

何が勿体無いのか良く判らなかったが、なんとなくノリで「はい!頑張ります!」とか答えた気がする。

結局、そのまま内定してしまった。

 

入社日は、今の会社の上司と相談して退社日を決めた後、連絡する旨伝え、伊村さんと握手をし、その会社を出た。

その会社から駅までの帰り道、1人でお祝いとばかりに、ちょっと老舗っぽい蕎麦屋でカツ丼を食べた。

 

次の日、俺はありったけの勇気を振り絞って、直属の上司である金山(仮称)さんに退職したい事を伝えた。
金山さんには俺と同年代の息子が居るせいもあってか、よく面倒を見てくれた人だった。
言い出すのは酷くツラくて、声が震えた。

金山さんは、俺の話を聞いた後、しばらく呆然としていたが、少し間をおいて聞いてきた。
「……頼む、あと1週間。一週間考えて、もう一度返事をくれないか?」


もちろん断る事なんてできない。

1週間後にまた話し合いをする事になった。

 

それからの1週間は辛かった。
金山さんは顔に出さないようにはしていたが、酷く落ち込んでいるのが判ったし、そんな様子を見れば周りも何となく察する。
何日か経った頃には、本気で転職するのをやめようかとも思った。

 

そんな頃、工場のとある機械を修理する際に、人手が足りないという事で俺が行く事になった。
その機械の担当者は、早川(仮称)さんという人で、もうあと何年かで定年退職を迎えるくらいの年齢だったが「ザ・職人」と言う感じのチャキチャキした人だった。

一通りの作業を終えて休憩していると、煙草をふかしながら早川さんが聞いてきた。
「おめえ、会社辞めんだって?」
俺は、そうなんだけど少し迷ってる事を告げた。

 

早川さんは「ふへへ」と煙を吐き出しながら笑い、こんな風な事を言った

「まあ、カネちゃん(金山さんの事)はさ、すぐ顔に出るから見てるとキツイよなー。 でもよ、この会社は若者が居る会社じゃねーよ。 お前若いんだから、今のうちに好きなことやれよ。
ここに居たってな、10年後、20年後の給料も計算で判るんだぜ?
若者は会社に使われちゃ駄目なんだよ。 お前が好きなことを選べ。

判ったな?」

 

結局、その言葉に後押しされるように、俺は金山さんに退職の意を伝え、その年の3月末日付けで、鉄の会社を退職。
鋳鉄とクレーンと放射能の時代は終わった。

 

在籍したのは、ちょうど1年だけだったが、非常に濃い1年だった。

あの時、早川さんに言われた言葉は、今でも俺の信条となっているし。俺のことを真剣に考えてくれた金山さんや廣井先輩には今でも感謝している。

 

おしまい。